日本における漢方の始まり

ここでは、「日本における漢方の始まり」 に関する記事を紹介しています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
指圧をボランティア活動に生かそう!(指圧講座の授業料を特別割引中)
■「このサイトを登録」 by BlogPeople

kann.jpeg


最近は「漢方」という言葉も一般に受け入れられるようになっています。とは言え、その実態については、専門家以外にはよく理解されていないように見えます。

漢方は、5~ 6世紀頃、古代中国に発するこの経験医学が日本に導入された後、日本の風土、気候や日本人の体質にあわせて独自の発展を遂げていき、日本の伝統医学となった経緯があります。

日本の漢方の始まりに関して、「大紀元」(http://www.epochtimes.jp/jp/2015/07/html/d25123.html http://www.epochtimes.jp/jp/2015/07/html/d74901.html)の記事で下記のように報じられています。



ーー引用はここからーー

【大紀元日本7月13日】日本では今から約1500年前、点在的に地方社会が形成され、畿内(奈良~京都)を中心に大和朝廷が次第に体制を整えていきました。そんな中、医療分野においては古来の民間療法に頼るだけでなく、大陸から伝わってきた医療が強い影響力を持つようになっていきます。

当初、朝鮮半島を経由して導入されていた医療は、遣隋使(600~618)や遣唐使(630~894)によって直接中国から伝わるようになりました。当時の日本にとって、中国は憧れの文化国家でした。その為、航海の危険を伴いながらも、多くの僧侶や学識者が日本から中国主要都市へと渡ったのです。

平城天皇の治世(806~809)に、漢方医学の流入に伴って日本固有の医方が廃絶の危機に瀕している事態を憂慮した桓武天皇の遺命により、『大同類聚方』(日本最古の医学書)が編纂されました。




当時の日本の伝統医療を示す最初の資料と言われていますが、その後消失してしまい、現存する最古の医学書は984年に編纂された『医心方』です。『医心方』は本文が全て漢文で書かれており、隋代と唐代の医学が集大成されたものとなっています。




中国は宋(960~1279)の時代に入り、印刷技術が開発されました。多くの書籍が製本され、それらは日本にも数多く運ばれました。北宋時代には『傷寒論』(後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した中国伝統医学の古典)の研究が盛んになり、各種の宋版解説本が出版されます。




この傾向は元(1279~1367)を経て明(1368~1661)代まで続きました。日本では鎌倉時代から江戸時代初期にあたりますが、この時期に持ち込まれた医学書を中心に、日本独特の医療体系が育まれていったのです。

江戸時代にはオランダ医学(蘭方)が伝来し、これらと区別するために既存の医療を漢方と呼ぶようになりました。


宋の時代(西暦1000年頃)に印刷技術が開発されると、多くの書物が出版物として世の中に広まるようになります。医書も数多く出版され、医学の知識は飛躍的にその水準を高めました。

漢方について書かれた『傷寒論(しょうかんろん)』や『金匱要略(きんきようりゃく)』もこの時代に校正され、復刻されています。金元時代(1115~)から明(~1644)に至るまでの間、多くの臨床家や研究者が医書を出版しました。これらの医書は、安土桃山時代から江戸時代にかけて日本に持ち込まれます。




15世紀頃には、明に渡った経験を持つ僧医たちによって民衆にも医学の知識が広がり、当時の先端医学として浸透していきます。しかし一方で、「それらの医学は中国の模倣に過ぎない」という意見が出始めるのもこの頃です。

江戸時代に入ると社会と文化が成熟し、各方面で独自性を持つようになります。医学でも古方派(こほうは)が出現し、曲直瀬道三(まなせどうさん)を代表とする明医学に影響を受けた後世派(ごせいは)に対抗するようになります。

古方派は、後漢時代に張仲景(ちょうちゅうけい)が著した『傷寒論』を重要視していました。古方派の代表的な人物、吉益東洞(よしますとうどう)(1702~1773)は、『傷寒論』と『金匱要略』の処方をまとめて、『類聚方(るいじゅほう)』を出版しました。




当時この小冊子はベストセラーとなり、1万冊が刊行されたと言われています。その後、古方派の考え方は東洞の息子、南涯(なんがい)や弟子達に引き継がれ、日本の医学界に影響を与え続けることになります。

ところが明治時代に入ると、社会全体が西洋の文化を尊重するようになり、漢方も医学界から締め出されてしまいます。一握りの医師、薬剤師、愛好家等により継承された漢方が見直されたのは、昭和の後半になってからでした。大半の漢方医薬品が『傷寒論』か『金匱要略』の処方であるのは、こういった歴史的背景が影響しているのです。

ーー引用はここまでーー



上記で見るように、日本の漢方は元々、中国医学が元になっていたのですが、今日に於いては、その手法に違いがあるようです。「薬読」では下記のような相違を述べています。


『日本漢方では、『傷寒論』などを基本とした「方証相対(ほうしょうそうたい)」という経験的・実践的手法を用います。たとえば「“寒気・首すじや肩のこり・頭痛・汗が出ない”という“葛根湯証”には“葛根湯”」と、カルタの上の句と下の句のように、症状と方剤を対応させます。病気の原因・メカニズムについては、一切追及しません。

そのため、日本漢方では『傷寒論』に書いてある証候と方剤をすべて覚えます。豊富な経験と感性が求められ、熟達すれば非常によく効きます。ただ、熟達するのが非常に難しく、熟練の度合いや診立てる人によって、処方がまったく異なるということがよくあります。


中医学では、「弁証論治(べんしょうろんち)」という理論的方法を用います。「弁証論治」とは、一人ひとりの「証(体質・病の本質)」を「四診(望・聞・問・切の四つの診察法)」を用いて見極め、どのような「証」なのかを判断し(弁証)、その「証」をもとに治療法を論じ治療すること(論治)です。

カルタの上の句と下の句を結びつける理論の部分―『証』―をしっかり追求するのが中医学の手法であり、この「弁証論治」こそが、中医学の神髄です。中医学は体系立った理論的な学問であるため、治療の方向性はどの人が診立ててもほぼ同じになります。』







さて、何時も申し上げているように、私の願いとするところは、一人でも多くの方が、本当の指圧のやり方を身に付けて、その指圧を通して「和を以て尊し」とする、日本人本来の精神を発揮して頂くことです。そして、指圧をする人も受ける人も、お互いに”幸せ”になって頂きたいと願っています。下記の案内をご覧下さい。

◇指圧講座

○講座代金:初級・中級共に、60,000円のところ、45,000円に割引中! 
=>指圧講座の申し込みは、こちら!


◇メール指圧講座
最近、遠方にお住まいの方や、多忙でこちらに来られない方からの申し込みが増えています。あなたも是非、この機会に、ご自宅で指圧を勉強され、周りの方を喜ばせて上げて下さい。
○講座代金:通常、20,000円のところ、15,000円に割引中!
=>メール指圧講座の申し込みは、こちら!


◇指圧治療

○治療代金:通常1回、6,000円のところ、5,000円に割引中。
=>申し込みは、こちらから!







ブログランキング

にほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 健康ブログ マッサージ・指圧へ
にほんブログ村

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://tenchi725.blog.fc2.com/tb.php/780-998a7d57
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。